東日本大震災 被災地支援チーム SAVE IWATE

2011年3月11日(金)14時46分頃、東日本大震災が発生しました。岩手県の三陸沿岸地域は甚大な被害を受けました。この災害に対し、民間レベルでできる支援活動に取り組みたいと考え、県内在住有志で「SAVE IWATE」を立ち上げました。

番屋日報3/7より転載します

最近テレビは震災報道が多くて嫌です、なんか涙出てきますね。
あの日、後ろがすぐ海の職場、3時休憩前で忙しくしているところでした、揺れは
凄く天井のボードが粉をふいたり外に出ると電柱から火花が上がって、山を見ると
土煙に包まれていて。自宅は浸水区域なんですよ、車で急ぎました。

道路は渋滞していました。それに余震もあり車間距離をとっていました。津波の
意識はなくてラジオも付けないで、もうパニック、家に帰る事しか考えなかったです。
大槌で前の若い男性のスポーツカーが交差点で止まって対向車を逃がしてる、
流れはこっちが優先なんですが宮古や釜石へ逃れる車をどんどん流してる、バスも
通してる、私クラクション鳴らすの我慢して。それが運命と云うのか、車列が進んで
それから直ぐ道路の先、下ったところに波が来ていました。2波目は大きかった、
直撃を目撃して足が震えました。車から降りたまわりの人たちも見ました。
若い人たちは泣いていました。波と、がれき。

実は私、前に夢を見てたんですよ、大槌の街に津波が来て自分が生き残って歩いて
いるんです。ああ、その夢を覚えていたから生きられたのかなぁ。

震災の前の年の秋、うみねこやカモメが海から何百羽と山の方へ飛んで行く、大槌で
何回も見て鵜住居でも見ました、初めてです。津波来なければいいねと友人と話をして。
同じ頃、夕陽の色が異常に赤くて空と家々を明るく照らして、2~3分で消えたんですけど。
写メにして子どもに送りました、凄いよって。傍ではお店の従業員さんも写メしてて。

車を降りた人たちはそこには県北バスも止まっていて、みんなで車内で夜を明かして
過ごしました。20人以上はいました、座席は埋まってましたから。
そのバスも運命なんでしょうか、バス停のずっと手前で手を挙げた人、釜石の人、
おじいさんだそうですが、その人の所で停車して乗せたそうです、止まらなければ
そのバスは浪に呑まれていたそうです。

夜は被災したコンビニのパンとジュースを持ってきてくれた方がいて、車内の皆で
分け合いました。明るくなってから、道路が不通で山道を越えて歩いてきた避難の
人たちから、大槌は火事だよ、中学校が燃えてるよ、釜石はアパート3階まで水に
浸かったよ、って教えてくれました。

夫の実家に寄ったところ、避難所に行くよう云われて親子でも他人なんだと。自分達
の事しか考えなかったんでしょう。それから私の実家で一か月生活したけど親子でも
いいとこせいぜい2週間ですね、長く離れると。判るんですね素振りで。ショックでした。
夫の会社は時間を置かず系列会社に働き口を振り分けてくれて、有り難かったですね。

人からは、親戚同士で喧嘩になったり兄妹同士でもあったりと聞きました。皆いろいろ
あるでしょう。津波の来る所に住みたくない、夫の仕事の都合もある、どうなるか判らない
ですね。私は自分で死ぬ運命ではなかった、生きろ、と若くして亡くなった父から云われ
ているようです。

全国海外の方からの物資で生かされました、本当に、本当に。
残念なのは子供の写った家族のアルバムを失った事です。
(40代女性 釜石市より)

 

まとめ/文責 鈴木智太郎

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