東日本大震災 被災地支援チーム SAVE IWATE

2011年3月11日(金)14時46分頃、東日本大震災が発生しました。岩手県の三陸沿岸地域は甚大な被害を受けました。この災害に対し、民間レベルでできる支援活動に取り組みたいと考え、県内在住有志で「SAVE IWATE」を立ち上げました。

番屋日報3/3より転載します

 

養殖とアワビ、ウニを獲ってました。全部、舟、筏、家、車、流されて避難所に一週間、
4月に盛岡に来て6月にみなし仮設に移り、そのとき大槌の方3人も一緒に入居してその人
たちは2か月程して、住む所が見つかったってそっちに移って。
俺は病院に近い所が良いし、お袋は内陸に話し相手がいないのと沢山の知り合いが大船渡
に残ってるから家族で相談して今仮設に入ってます、地元では頑張ってる人がいるんだけど
俺にも都合があって。

今後の生活を考えるに、国の融資制度、借金だよね、舟、ワカメ棚、網、ボイル機械、
倉庫、全部で5千万は掛かる、背負えない。盛岡で仕事して蓄えを持ちたい、自宅跡地
の買い上げは決まってないしこれから、お袋が介護施設に入るとしたらお金が掛かるから
それに手を付けると生活は楽になるけど義援金には手を付けれない、ただ家を建てられる
程の金額じゃないよ。

災害から2年。どう考えたって最低5年は経たないと落ち着かないだろうね。あと3年、
収入や住居や精神的な面をそれまでどう繋いでいくか。俺よりもっともっと酷い環境の
人達、その人達はもっと掛かるだろうね。
フラッシュバック、津波の光景が例えば車を運転しててもばっと拡がる、未だにそれが
続いている、精神科に行ってます。行くのは恥ずかしい事ではないですよ。

お袋の仮設は学校の校庭なのでにぎやかな声が聞こえる、子ども達は被災体験をしてる
けど前向きなんだよね、不幸だったけどワイワイガヤガヤのお祭りのように捉えてる、
あの日は凄かったね、そうだねって聞いてると楽天的に云ってる、逆に元気をもらう。
今の子ども達が地元を離れないでいてくれたら、我々の世代が職場や住居環境を作って
あげないとってそう考える、今の市長の課題だろうけど。

お袋の事で市役所に電話をしたら、直接偉い人と話が出来てこの前その人から電話貰って
要は、戻って来てほしい、と。あと病院の体制が不十分、これから良い病院にしたい、と。
気に掛けてくれて感謝してます。

列車代行バスは時間通り走るかな、一般道が混んだら遅れるだろうな、三陸道が仙台まで
完成すればいいのにねぇ、その点は国、県、市の話だからなぁ。
(50代男性 大船渡市より)

 

まとめ/文責 鈴木智太郎

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