東日本大震災 被災地支援チーム SAVE IWATE

2011年3月11日(金)14時46分頃、東日本大震災が発生しました。岩手県の三陸沿岸地域は甚大な被害を受けました。この災害に対し、民間レベルでできる支援活動に取り組みたいと考え、県内在住有志で「SAVE IWATE」を立ち上げました。

宮古市 田老地域

毎年正月の時期は漁を休まないような浪の良さ、初漁は舟からお神酒をするのが
恒例でしたが1月は大しけ、凄い浪と3月9日の地震、あの頃からおかしかったねと
家では話をしたことがあります。
商売柄地震があればとにかくガスの元栓を閉めます、あの日もそうでした、揺れが
収まった時点で表も閉めて。いつもなら皆外に出てどうした、っていうのに誰も表に
出ない、シーンとして皆どうしているんだろうと思いました。
地区によっては逃げろと呼び掛けがあったようですけど。

夫は持ち舟を沖合いに避難させるために出掛けがら逃げろと云い、私は車に犬を乗せて
走りました。漁港で浪の引き方が激しく沖出しを諦めた夫は引き返して国道を北に向かい、
息子が一番落ち着いていて、着替えや夫のクスリを持って高台にある道の駅に集合しました。

後から集まってきた人たちが津波が来た、と騒いでいて車で下りてみたら凄い風景、街が
がれきになってて。暗くならないうちに、国道を挟んだ両側から火が出て3日間燃えて通れ
ない、皆口数は少なく、何をどうしたらいいかと呆然としてました。

保育所に子どもを預けていた姪っこは残っていた職員の方から、子どもたちは全員避難した
と知らされていた途中、襲ってきた津波に裏山を駆け昇り、建物がメリメリ、バリバリと音を
立てたのを怖くて振り向けず、クラクションの鳴り通しにあれは私の車だな、でも見なかった
そうです。子どもとは山を越して避難した翌日、町民会館で逢えました。

今の住まいは仮設です、慣れてきました。お隣とは生活の時間帯がずれているのでうちは恵ま
れてる方です、皆さん気を遣って生活して。電話や咳ひとつ聞こえるとガラッと窓を開ける人
もいます。引っ越した当初は通路に何カ所もグループで集まって話をしてましたが、今は見ない
です、私も休日は出ない、皆なにしてるんだろう。人に会いたくない、皆もそうなのかな。

私は編み物グループで、場所を借りるために市役所に問い合わせると、集会所や仮設で売り物を
作るのはだめと云われました。手作り小物で儲けようとは思わないのに。皆で作りあって、その
材料費の一部にでも、それだけなのに。空いている仮設でも貸してくれない。
2年も経てば家族も増えたり、子どもさんが受験の勉強用にと事情が変わってくるけど断られる。
憤りを感じます。

私は地元に住みます。ここは14.7メートルの防潮堤になるそうですが、津波のビデオでは向こう
で起こっている事が手前では判らない、山から見ないと判らない、かえって怖いです。

地元に残る方はアンケートの48%だそうです、私たちはここを離れた人が失敗したと思われるよう
な町にしたい、勤めの人は住む場所は二の次だけど、残るのは漁業商業の人たちで町にとって重要
な仕事の人たち、資源を提供できる人たち、それを商業が支える、そういう風に国、県は考えて
欲しいんだけどね。難しい問題なのかな、商売止めようか続けようか、今は段々元気がなくなって
きました。

 

聞き取り日 2月15日

まとめ/文責 鈴木智太郎

 

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