東日本大震災 被災地支援チーム SAVE IWATE

2011年3月11日(金)14時46分頃、東日本大震災が発生しました。岩手県の三陸沿岸地域は甚大な被害を受けました。この災害に対し、民間レベルでできる支援活動に取り組みたいと考え、県内在住有志で「SAVE IWATE」を立ち上げました。

聞き取り 番屋日報より転載

母はもう少し一人暮らしを楽しみたかったのだと思います。最晩年に全盲で
亡くなった父にそれは尽して最後を看取り、質素な生活を続けていましたが
聞くと地震の時、あの長く強い揺れの途中で家を出て高台に避難したそうです。
家では厚着であまり暖房に頼らなかったから避難所では寒さに耐えれたと聞き
ました。 しかし環境が激変して気が弱ってくる、時に、死にたいと漏らすと私は
すかさず叱りました、母にですからしっかり叱りました。
その避難所で再会してハグしあった叔母は最近、仮設住宅内でひとり亡くなって
いたそうです。前日に体調が悪いと病院で検査を受け、異常なしと帰され、翌日
ご主人が用足しで外出中に。せっかく被災から免れて生きていたのに、ストレス
が原因と聞きました。かわいそうです。
仮設入居は抽選なので、近所の人たちや友人と離ればなれの生活になり、逢うこと
も出来ないのは母にとって大変なショックです。

山田の自宅は海の側でしたから土地の評価は無いに等しく、町の買い取りもどうなるか
判りません、母は町に寄付してもいいと云うけど、私は納得できません。自宅周辺
の風景は変わり自宅は土台と玄関のタイルが残っているだけ、けれど、そこが私の
ふるさとだからです、ふるさとが無くなってしまう、かなしくて仕方がない。

高台から津波に流されていく自宅を見ていたそうですが、そのとき母自身は感慨を
持たなかったそうですが、しばらく経ってから御位牌が拾われた方を通じてお寺に
届きました。すると御位牌が見つかったくらいだから冷蔵庫も出てくるんじゃないか、
と半分冗談で云うのです。野菜や鮭の切り身や、一本づつヘタを取ったもやし、被災
前日に仕込んでいた食材や買ったばかりの食品を今でももったいなく思っているから、
一緒に買い物に行くと商品ひとつひとつを見て、流されたのとぼやくのです。

離れてひとり暮らしをさせるより、と私達家族と住む事になったのですが、家では
入浴の順番に気を遣ったり、食器洗いを勝手でたり、整理した室内を息子と友達が
走りまわったりして一人暮らしをさせた方が落ち着くのかなぁ、と思いもしましたが
孫を叱るときは叱ります、その息子はおばあちゃんが好きで、お母さん、おばあちゃん
を見習ってと怒られたりします。

もし、母が津波の恐怖のなかで亡くなっていたら思うと私は泣き続けるしかなかったと
思います。こうして一緒にいる。御遺体が見つからない遺族の方は浮かばれないでしょう。
お母さんと一緒に生活をする事は離れた場所で何かあった時を考えれば、とても大切な事
なんだよと夫は言ってくれます。そう言ってくれるんだ、と聞いてます。
(70代女性 山田町より 家族回答)

 

聞き取り日 12/15

まとめ/文責 鈴木智太郎

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