東日本大震災 被災地支援チーム SAVE IWATE

2011年3月11日(金)14時46分頃、東日本大震災が発生しました。岩手県の三陸沿岸地域は甚大な被害を受けました。この災害に対し、民間レベルでできる支援活動に取り組みたいと考え、県内在住有志で「SAVE IWATE」を立ち上げました。

配送報告から

SAVE IWATEでは沿岸被災地への物資配送を継続しています。
番屋で取りまとめた要望に合わせて物資を集め、配送しつつ、現地の状況を
把握して戻る重要な仕事です。

「番屋日報」「センター日報」と同じく「配送報告」がメーリングリスト登録者に
送られますが、この報告を通じて、被災された方々の心と環境の変化を少しだけですが、
想像出来るように思うことがあります。

日頃この配送報告に接していない方々も多いと思いますので、6月19日、20日のレポー
トを転載します。

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6月19日   大槌町内で伺いました。
児童クラブは2つあって建物は残ってますけど、津波と火災でもう使えません。
この仮設校舎は小学校4校と、中学校1校が合同で昨年11月から使用して
います。仮設住まいの子どもは、バスで通学してます。

大きな揺れの時が、子どもたちが道草しながら帰ってくる時間帯でしたら皆を把握
できたでしょうか。時間がずれていたらと考えたら恐ろしい。
子どもたちは学童クラブに向かう前、学校から直接高台の高校へ避難したので全員
無事でした。それがせめてもの幸でした。

避難所に迎えがきた最後の子どもさんは4日後でしたか。

私は避難所に50日は居ました、最初の日は空腹を覚えませんでした。
食べ物は乾パンをふたりでひと缶、菓子パンが一家に一個。
高校の備蓄品で2~3日をそれで過ごしました。
4月後半から炊き出しを手伝うようになり、おにぎりを1000個作り、それが900、
800、となっていきました。ひとり1個です。
おにぎりは素手で貰いましたが、菓子パンの袋を取っておいてそれで、おにぎりを摘まむ
ようにしていきました。

そのうちバナナ、菓子パン、みかんが届くようになり、菓子類はけっこう来て、子どもたちに
時間を決めて配りました。

不自由なのは入浴や肌着で、来てもサイズが合わずしばらくは身動き出来ませんでした。

子どもたちは落ち着きがなかったのですが、動きもそうでしたが表情のない子もみんなと一緒に
居ることで変わってきました、子どもたちが落ち着くと親が落ち着いてきます。
そのためにリズムある生活をさせようと心掛けました。
家族をなくした子もいます。
愛してくれたおじいちゃんと大好きな犬を失った子もいまは落ち着きました。
子どもの笑顔と声が聴けるのは一番かなと思います。

時間が経過したと思います。
子どもの親御さんと普通の会話ができるようになりました。
子どもからパワーを貰う、という親御さんもいます。
私たちもうれしい。

県内や国内、海外の色々の人の協力でここまできました。
生活も落ち着いてきました。

後は前のような生活が出来ればいいなぁ。

                            まとめ/文責 鈴木 智太郎

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6月20日   番屋 鈴木竜一です。
内容:配送(2箇所)岩手県野田村、久慈市
   
ドライバー:鈴木竜一  同行:高山

岩手県野田村、久慈市への配送を実施しました。

台風一過で荒れ模様の太平洋を東に見つつ北上しました。
目の前の荒波に注意を払いながら防潮堤や被災施設の復旧作業をしている業者の方々に頭が下がります。
未だ復旧していない沿岸の荒波に恐怖を抱きながら野田村へ向かいました。

道具が提供されることで少しでも現地の活動支援になればいいです。
「ミシンでの作業をしているときは、記憶に残っている津波の音が消えて気持ちが楽になる。」
という声が印象的でした。

岩手県久慈市は野田村の北に隣り合う地域です。
地域イベントやその他交流目的で、テーブル、イスを配送しました。
大人から子供までみんなに役立つと思います。

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