東日本大震災 被災地支援チーム SAVE IWATE

2011年3月11日(金)14時46分頃、東日本大震災が発生しました。岩手県の三陸沿岸地域は甚大な被害を受けました。この災害に対し、民間レベルでできる支援活動に取り組みたいと考え、県内在住有志で「SAVE IWATE」を立ち上げました。

日別アーカイブ: 2011年3月31日

いわて子育てネットさんでヘアドライヤーを探しています

盛岡の子育て支援に取り組むNPO法人・いわて子育てネットさんではいま、

ヘアドライヤー10個の提供を呼びかけています。

盛岡市内に避難しているお子さん連れのお母さん方にお使いいただくためのものです。

ご提供をお考えの方は、子育てネットさんへ電話でご一報ください。

いわて子育てネット TEL:019-652-8636

同ホームページ http://www.iwate-kosodate.net/iwate-hisaisya-sien/index.html

トラックに同乗して レポート

3月27日、28日 救援物資のトラックに同乗してくれた、岩手大学大学院のKさんが、レポートを送ってくれましたので、紹介します。

宮古に向かう途中の区界、道の駅で、メンタルクリニックのT先生会い、お聞きした話から。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)になる被災者が多くなる中で、
最も支援スタッフに求められるものは「やさしさ」であるとおっしゃっていました。
何ができなくてもいい、ただ、一緒に泣いてやる、抱きしめてやる、とにかく笑顔で挨拶し、疲れを見せてはいけない。
そして、「1日を短く区切って生きる」ことを目標にさせるのが大事だと。
 
支援がいつ届くかも分かりません。
いつまでこの生活が続くかも分かりません。
そんな被災者を絶望させないようにと、足を引きずりながら働いているT先生の姿に心が震えました。

 
 
宮古市のボランティアセンターにて。
 
自転車5台と、毛布・衣類・その他さまざまな支援物資をダンボール100箱ほど荷下ろししました。
職員の皆様の他、すでに現地の高校生たちをはじめとしたボランティアがリレー方式で物資を運んでくれました。
社協での避難所の把握はまだされていなかったため、宮古市役所に電話してみましたが、
市役所職員もパニック状態のようで詳しい状況はお聞きできませんでした。
 
 
106号線から45号線、山田町へ。
 
国道を乗り換えて北上する間は、宮古市街中心部・山田ともに地獄の有様です。
電気は復旧していない様子。
黙々と自衛隊や消防団が瓦礫の山を片付けておりました。
 
 
普代村。
 
村役場に到着し、残りのダンボール箱22箱を降ろす間に、役所の方にお話を伺ってきました。
久慈市・洋野町・普代村・田野畑は被害は少なく、地震3日後には全てのインフラが復旧したこともあって生活は安定しているようです。
役場の職員方が非常に落ち着いた様子で対応しており、県庁・矢巾町・久慈のユニバースから物資をしっかり受け取っているとのこと。
(特に久慈はスーパーも開店している。青森側からも流通しているためでしょうか)
普代村と田野畑の避難民は、普代の「くろさき荘」に40名。
今後、人数が増えれば下着類が必要になるかもしれないが、それも県庁等から運ばれるから大丈夫とおっしゃっていました。

個人的に、宮古市には情報収集のためのスタッフを置くべきだと思いました。
ボラセンの方々はとても協力的だったので、彼らと共に情報を集めるのも手だと思います。
 
【陸前高田・大槌の追加レポート】

まず大槌。
大槌高校の自炊部の方は、ネギを一番喜んでいたようです。欲を言えば、砂糖・根ショウガが欲しいとおっしゃっていました。
ショウガに含まれる「ショウガオール」という成分は、加熱して摂取すると断トツな保温作用が得られます。燃料不足時に体を温めるのには有効でしょう。

陸前高田。
断水の地域は下水道も機能していない可能性があり、食器類は洗えないので紙製の器が欲しいと思われます。
食器類があるなら、ラップで食器を覆って使うこともできますので、ラップの需要も多いかもしれません。
食糧は、「生きることはできるが十分では決してない」量が支給されているようです。

以上、3月28日の時点でのKさんのレポートの中から抜粋しました。

感じたことは、衣類や毛布はほぼ行き渡っていますが、毎日3回の食事を少しでも改善したいものだと思いました。贅沢ではなくてもバランスのとれたもの、味や調理法に変化のあるものを供給できるようになってほしいものです。

もどかしい

震災から20日がたちました。これが悪い夢であったらと思った人は沢山いると思います。時間の経過とともに、支援の手は確実に広がり、届いてきた部分もあります。しかし、大きな格差が生まれてきていることも現実です。朝晩でおにぎりがふたつだけ、あるいは食べるものが全く手に入らない人が、まだ沢山います。

陸前高田で道に迷い、歩いている方に声をかけました。矢作地区の人でした。市役所に相談に行くところで、車がないため1時間15分ほどを、歩いて行くのだそうです。矢作では直接的な被害はないのですが、食料が全く手に入りません。車のある人(さらにガソリンのある人)は20分ほど離れた住田まで買い出しに出かけられますが、交通手段のない人はどうしたら良いのでしょう。実際は生活できていないに、被災者ではないのです。車に積んでいた食品を差し上げたくても、歩いての移動を考えると限度があり、たいした量ではありません。被災地を車で走っていると、リュックサックを背負って歩いている女性を度々見かけます。その中には食べるものを求めて歩いている人も多くいます。

集積所に大量に積み上げられている救援物資は、避難所にいる人には充分ではないものの届けられます。しかし、家が被害を受けなかった人は幸いとはいいながら、今日食べるものがないという現実、なんともどかしいのでしょう。

番屋日記 その2

皆さんはじめまして。番屋運営サブリーダーの「M」ことマエダでございます。

番屋開所以来、多くの皆様からご提供いただきました古着類は、おかげさまで充分な量が確保できました。(正直申し上げますと、裁ききれないほどです……)
今後、被災地から各種古着の要請がありましたら、再びご提供をお願いいたします。
それまで、お手数ながらご自宅で保管いただくよう、お願い申し上げます。(いっそ古着屋さんで義援金に変えていただくのも、ひとつの手かも……)

私どもSAVE IWATEに集まる情報からすると、現地で防寒着、上着類はかなり行きわたっているようです。
ただ、新品の下着類や靴下などは半ば消耗品ですので、定期的な供給が求められています。
よろしければ、新品の下着、靴下などは継続してご支援いただきますようお願い申し上げます。

ブルーシートを広げて物資をみなさんへ

陸前高田で園児から園児へプレゼントとする同時に、同じ場所で引き続き生活支援物資についてもみなさんにお届けしました。物資を提供していただいたのは、はるばる静岡市から来ていただいた株式会社地域町づくり研究所の伊藤光造代表とその社員2人です。

物資の内容は、自転車11台をはじめ、普段の暮らしに必要な生活用品、食料などたくさんの種類のものがそろっていました。公園のなかに大きなブルーシートを2枚広げて、そこに物資を並べ、集まってきていただいた園児の父母のみなさんに、自由に必要なものを手にとってお持ちいただきました。

自転車を希望された方は10人いて、みなさんで相談してどの自転車を受け取るか決めていました。物資の中には静岡らしいものとして、甘い夏みかん「スルガエレガント」が段ボールに15箱ほどありました。被災して疲れきった体には夏みかんのビタミンCがきっと役にたつことと思います。

用意した物資は、30分ほどの間にほとんどすべて、みなさんに受け取っていただきました。地域まちづくり研究所のみなさん、そして地域まちづくり研究所からの呼びかけに応じて物資を提供していただいた静岡の多くのみなさんに心からお礼を申し上げます。

盛岡から陸前高田に向かう途中、生活支援物資をみなさんにお渡しする際の入れ物を用意し忘れたことに気がつきました。そこで、川の駅よこたに立ち寄って事情をお話ししたところ、組合長さんがいらしてレジ袋300枚を譲って下さいました。本当にありがとうございす。(寺井良夫)

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